「目盛の幅」は十人十色

2020.12.19
    


当社のフロソフィー手帳[ウィズコ・フィロソフィー]内に、「判断のものさしを備える」 という項目が存在します。

この項目は 『素晴らしいリーダーであるために』 の章に存在するのですが、これは何もリーダーに限ったことではなく、どの立場にあろうが、誰であっても常に頭に置いておくべき重要なことだと思います。


以下は、その全文です。


リーダーは毎日、部下から様々なことで相談を受け、決断をしています。判断をするということは、問題を自分の中の “ものさし” と照らし合わせて決めるということです。

しかし中には、ものさしを持ち合わせていない人もいます。自分で判断するための尺度が無いために、他人の判断や、世間の常識や先例といったものに頼って判断してしまうのです。

また、自分勝手なものさしを持っている人もいます。自分にとって損か得かということが判断の基準なのです。基準は確かに持っているのですが、利己的な判断をしてしまうのです。

人生は、一つ一つの判断の集積で成り立っています。正しい判断がなされていれば、素晴らしい人生を送ることができるでしょう。そのためには、ものさしとなるべき誠実な人生哲学を持たねばなりません。

その哲学とは、「人間として何が正しいか」に基づくもので、公正、正義、優しさ、思いやり、調和、誠実さなどの言葉で表されるものを含んだものであるべきです。これを、判断の基準、ひいては 「人生のものさし」 としていかなければなりません。



いま、我が国ではコロナウイルス感染拡大の第3波が襲来、危機的な状況となっています。

テレビニュースやワイドショーが連日のように大きく取り上げています。

医療現場の逼迫によって、Go To 事業も一時中断を余儀なくされました。


そんな中、いろんな意見があります。


「もっと早くに決断すべきであった」

「何で今更GoToを止めるんだ!そんなことをしたら経済が・・・」

「そもそもGoToなんか初めから不要だった」 等々


その人その人の置かれている立場によって思いは違いますからね・・・。


難しい政治決断を迫られ続ける菅総理ですが、その対応や国民への情報発信の面でバッシングを受けています。

つい先日も、総理が5人以上(8人)での会食をしたことについて叩かれ、謝罪をしたその日の夜にも “はしご” で会食をしたということで、またもや非難を浴びました。


私個人的には、「そんなことをいちいちマスコミが取り上げることがおかしい」と思うのです。


一国の総理ともなれば、分刻みのスケジュールです。

正しい判断をするためには、人から聞いた話ではなく、直接的な情報収集も欠かせません。

我が国の舵取り、我々の運命を一手に担っているわけですから・・・。

だから、一般人と「十把一絡げ」(じっぱひとからげ)で物事を捉えてはいけないと思います。

当然ある程度の配慮(国民の模範となるべき)は必要だと思いますが、私個人的には仕方がないことだと思っています。


こうした私の意見に真っ向から反対の人もいるでしょう。

そういう人の方が多いかもしれません。きっと多いでしょう。


今日お伝えしたいことは、ココなんです。


正しい判断の「ものさし」を持つことは大事。

しかし、「目盛の幅」は一人一人違うのです。

だから、「常に自分が正しい」と思い込んではいけないのです。


自分の中の “常識” が、ひょっとしたら周りから見たら “非常識” ってこともあり得ますからね・・・。

人と接する際には、常に「聞く耳」を持って臨むことが大事です。


何気に偉そうなことを書いていますが、私自身を戒める意味もありますので、どうぞお許しください。



今日の写真は、「聞く耳」を意識してみました。

長女がおばあちゃん(私の母)にプレゼントした猫の置物です。

かわいいでしょ!! (^^)v