『清須』と『清洲』、2つの「KIYOSU」

2022.02.10
    


私の地元(出身地)であり、当社不動産ビジネス上のメイン商圏でもある「愛知県清須市」。

同市内では『清』と『清』、2つの「KIYOSU」(きよす)を目にします。

高速道路で言うと、「名古屋高速6号清線」・「清JCT」・「清料金所」・「清出口」・「清東IC」・「清西出口」といった感じ。

清須市のシンボルであるあのお城は「清城」です。


地元の人じゃないと、いや、地元の人でも随分前から住んでる人じゃないと、「え?」って思うことがあるはずです。

私の友人からも「どうして字が違うの?」と聞かれたことがあります。


そこで今日は人一倍 “キヨス愛” の強い私が、『清須市』について、また、『清須』と『清洲』、2つの「KIYOSU」 について記させてもらいます。 (^^)v


まず、清須市について。

清須市は、名古屋市の西隣、愛知県西部にある市で尾張平野のほぼ中央に位置しています。名古屋市の他、あま市・北名古屋市・稲沢市・一宮市とも隣接しています。

面積は17.32k㎡、人口7万人弱、世帯数3万世帯弱ですから、どちらかと言えば、こじんまりした市であります。


平成11年より政府主導で行われた市町村合併、いわゆる「平成の大合併」で、平成17年7月7日に、西春日井郡内7町のうち3町、「西枇杷島町」・「新川町」・「清町」が合併して 『清市』 が誕生しました。

その4年後、平成21年10月1日に『清須市』と「春日町」が合併し、現在の清須市となりました。


もうわかりましたよね・・・。

以前は「清」という町があったんです。その名残で2つの「KIYOSU」が存在するという訳です。 しゃんしゃん!!



ここからは「おまけ」みたいな話になりますが、合併するにあたり、新市の名称にはいくつかの候補があがっていました。

『西名古屋市』・『名西市』・『尾張市』といったベタなものや、西枇杷島町の「に」・新川町の「し」・清洲町の「き」、それぞれの頭文字をとって『にしき市』、中には郷土の英雄・織田信長から取って『信長市』なんてのもありました。


最終的には公募の上位に入っていた『清洲市』と『清須市』に絞られ、結果『清須市』に決まりました。

『清市」ですと、対等合併であるにも関わらず「清洲町」に他の2町が吸収されたような感じになるので2町から反対意見が出たんじゃないかな・・・と思います。


私は旧「新川町」の人間ですが、『清市』であれば、「新川町」の中心地「須ヶ口」の「」の字が入りますし、本庁舎も旧新川町役場に決まりましたので何一つ不満もありません。というか、大満足です。 (^^)v


しかし、「西枇杷島町」については、新市の名称に、その名に関連するようなものが何一つ入りませんでしたので、新住所に「西枇杷島」の名前を残すようにしたみたいです。

例えば、「愛知県清須市西枇杷島町小田井1丁目○○」 といった感じです。

当社ですと、従前の「愛知県西春日井郡新川町大字土器野新田145」から「愛知県清須市土器野145」に変更、とても短い住所になったんですが、 旧「西尾枇杷島町」の皆さんは住所を書くのも大変です。(^^;


『清須』と『清洲』の件に話を戻しますと、もともと安土桃山時代までは『清』という表記がなされていたようなんです。それが、江戸時代に『清』と称されるようになり、明治時代に入って、そのまま「清町」となったとのことです。

ですから“原点回帰”、もともとの表記である『清』に戻ったということです。


ちなみに、「須ケ口」という地名は「清須の入口」という意味で、そう名付けられたようですよ!

アパマンショップ須ケ口店(当社賃貸仲介部)で勤務するスタッフのみんな、お客様との会話のネタの一つに入れておいておくれ!! (^^)v



本日用いたアイキャッチ画像は清須市観光協会の昨年春のポスターから取らせてもらいました。背景にあるのは、もちろん清市のシンボル「清城」です。


※ 実物はコチラ↓です。


読者の皆さま、愛知に来られる機会がありましたら、歴史と文化が薫る街『清須市』にも是非お立ち寄りください!

また、清須市およびその近隣市「あま市」等で不動産の賃貸・売買をお考えの方は、地元密着の不動産会社、ウィズコーポレーション(アパマンショップ須ケ口店・アパマンショップあま店・ウィズアンドウィズあま清須店)に是非お任せください!!