四十、五十にして聞こゆるなきは・・・

2020.12.27
    


皆さんは、「安岡正篤」(やすおかまさひろ)という人物をご存知ですか?

昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務められた方で、更には三菱グループ、住友グループ、東京電力、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた人物(陽明学者・哲学者・思想家)です。

昭和20年8月15日、昭和天皇によるいわゆる「玉音放送」で発せられた「終戦の詔勅」の草案作成にもかかわり、また「平成」の元号を考案したのもこの方なのです。


今からかれこれ10年近く前になるでしょうか、当時の私はこの方の書籍を何冊か読み、そこから人生の糧をなるような言葉を沢山みつけることができました。

「早朝社内研修」や「各部署の朝礼」に参加した際、私がスタッフに対して頻繁に話している『思考の三原則』もそこから学んだものであります。

 
ちなみに
【思考の三原則】とは・・・

  ・長期的に見る ・多面的に見る ・根本的にみる です。


後手後手に回ったと非難される政府(菅総理)のコロナ対応・・・

仮に安岡正篤さんがご存命であり、菅総理が相談をしたらどんな回答が返ってきたか・・・。

違った結果になっていたと思えてなりません。



前段が長くなりましたが、ここらで本題に入ります。

今日は『安岡正篤一日一言』(致知出版社刊)の中から、『四十、五十にして聞こゆるなきは』という項目をご紹介させて頂きます。


実はこれ、以前にブログを記していた際にも一度取り上げているのですが、再度いかせてもらいます。

私のPCに転記保存をし、かつ、私の心に深く刻んでいる言葉です。

じっくり読んでみて下さい。


世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、自らその環境の中で名が聞こえない、おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、お前おったのか、というようなことではつまらない。

少しできた人間ならば、世間はともかく、少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。

「四十、五十にして聞こゆるなきは、畏(おそ)るるに足らざるのみ」というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。またそれでよい。


名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。

場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。

いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。

大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、四十、五十になった値打ちはない。

いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、家に帰っても女房・子供にいやがられる、そんなことでは人間はダメである。


どうでしょうか・・・。

40歳、50歳になっても、「自分さえ良ければいい」というような利己的な考え方をしていては “どうしようもない” ということです。

世間から評価されることもなく、家庭でも嫌がられる・・・、

そんな人間にだけはなりたくないものです。


やはり、いつどんなときでも「謙虚」にして驕らず、さらに「努力」を続けていくことが大事。

そして「思いやり」と「優しさ」、“利他の心” を持って人と接することが大切です。


人間、何歳になっても変われます。私はそう信じています。

要は自分が「変わろう」・「変わらなきゃ」と思うかどうかだと思うのです。

また、完成形もありません。

私は今、56歳。年明け1月18日には57歳となります。

今より少しでも マシ な人間となって、いつか来る死を迎えたいと思います。



さて、当社は本日が今年度の「仕事納め」です。

コロナウイルスに翻弄され続けた一年でしたが、いまだコロナは猛威を振るっています。

このところの感染拡大状況を鑑みますと、1月中旬から下旬頃にはどんなふうになっているでしょうか・・・?「緊急事態宣言再発令」とならぬことを祈るばかりです。


兎にも角にも、自分が感染者にならないことが第一ですので、今回の年末年始は、政府・専門家会議が提唱しています「ステイ・ウィズ・コミュニティー」を遵守しつつ静かに過ごすつもりでいます。


私のブログもこれが年内最後の投稿となります。

次回は「仕事始め」となります1月4日(月)に投稿させて頂く予定です。


それでは皆さん、良いお年を! Stay with Your Community!!