四十、五十にして聞こゆるなきは・・・

2011.03.28
    

昨日(27日)、名古屋地方気象台は名古屋市でも 『桜』 が開花したと発表しました。 平年より1日早く、昨年よりは9日遅い開花となったようです。
昨日は、午後からあま市内にある賃貸マンション・アパートへ「入居者募集プレート」を設置しに廻っていた私ですが、外で作業をしていると、風も強くて随分と肌寒く感じました。 実際、昨日の名古屋市の最高気温は平年より3.4度低い11.8度と3月上旬並みの季候だったようです。
しかし、今週後半にかけては最高気温も20度ほどまで上昇する見通しのようです。
本当の 『春』 は、すぐそこまで来ています・・・。
写真は、田んぼのあぜ道に咲いていた「ほとけのざ」。 陽の光を浴びて 『春』 の到来を感じさせてくれますよね。
ではこの辺で、今日の本題へと移らせてもらいます。
昨日の記事の中においても触れさせて頂いた安岡正篤さん、この方は 「平成」 の元号の考案者ともいわれている人で、その教えは没後なお多くの人々の人生の糧となっているのです。
今日は、「安岡正篤一日一言」(致知出版社)の中から、『四十、五十にして聞こゆるなきは』 という項目をご紹介させて頂きますのでジックリお読み下さい。
 
世間的にはさして地位や名声がなくても、いわゆる名士・有名人でなくても、
自らその環境の中で名が聞こえない、
おるのやらおらぬのやらさっぱりわからない、
お前おったのか、というようなことではつまらない。
少しできた人間ならば世間はともかく、
少なくともその仲間環境の中には必ず聞こえるものだ。
「四十、五十にして聞こゆるなきは、畏(おそ)るるに足らざるのみ」
というのはそういう意味だと解釈しても、私は少しも差し支えないと思う。
またそれでよい。
 
名を天下に馳せるなどということはあえて自ら欲すべきことではない。
場合によっては親戚・縁者だけの間でもよい。
いい叔父さんだよと言われるだけでよろしい。
大小は問わずどこかでやっぱり聞こえなければ、
四十、五十になった値打ちはない。
いい年をして、世間に出ても人からいやがられ、
家に帰っても女房・子供にいやがられる、
そんなことでは人間は駄目である。
 
40歳、50歳になっても、「自分さえ良ければいい・・・」 というような利己的な考え方をしていては “どうしようもない” ということです。
世間から評価されることもなく、家庭でも嫌がられる、こんな人間だけにはなりたくないものです。
やはり、いつどんなときでも 「謙虚」 にして驕らず、さらに 「努力」 を続けていくことが大事。
そして、「思いやり」 と 「優しさ」、”利他の心” をもって人と接することが大切です。