大沢親分逝く

2010.10.08
    

昨日、大沢啓二さんが逝かれました。78歳、胆のうガン ということでした。
若い人には、TBS系列 「サンデーモーニング 」 の “喝” ・”あっぱれ” の人、
タレントの大沢あかねちゃんのお爺ちゃんといったほうが馴染みがあるのかも知れませんが、
私にとっては 『日本ハムファイターズ』 の監督としての印象が極めて強い人であります。
あけっぴろげな「べらんめぇ口調」で、勝気な監督、人情味あふれる監督、”大沢親分” の愛称
で親しまれていました。
 
私が「日本ハムファン」、それも球団創設以来の大ファンだということは、つい最近も触れたばかり
でありますが、歴代の監督、選手を合わせても、最も印象に残っている大好きな人でした。
背番号も 「86」、「ハム」 でした。
 
昭和51年にファイターズの2代目監督に就任し、昭和56年には悲願の 「パ・リーグ制覇」、
昭和58年まで監督を務められました。 昭和59年にはシーズン途中に解任された植村監督の
後をうけ、現場復帰、この年をもって退任されました。
その後、平成5年から2年間、再度監督を務められましたので、通算で10年以上 「ファイターズ」
の監督をされたことになります。

第1次政権時は、私が大学に入った頃とかぶっていましたので、よく 「後楽園球場」や「西武球
場」 へ応援に行ったものです。
そんな大沢親分の影響もあって、ずっと 「ファイターズ」 を応援し続けているのかも知れません。
 
ファンの目から見てもよくわかりましたが、球団や選手を思う気持ちは人一倍、その”人間味”で
チームを引っ張っていった監督だったというふうに思います。
私が理想とするリーダー像でもある「大沢親分」。私の記憶の中からは、一生消え去ることはない
だろうと思います。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。