小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり

2012.01.27
    

「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」
皆さんは、この言葉をご存知でしたか?
私は、この言葉を「盛和塾」にて教えていただきました。
 
たとえば、自分の子供が可愛いからといって甘やかし、欲しいというものを何でも買い与えたりすること、また、お金にだらしない友人が借金取りに追われているようなとき、それを可哀相だと思い、お金を工面してあげたりすること・・・ これらを『小善』といいます。

一見、それらのことは相手に対し親切なことのように思えますが、決してそうではないのです。
 
子供の場合、苦労や感謝というものを知らずに育ったがために、成長するに及んで人生を誤ってしまうこともあるでしょう。
友人の場合、温情をかけてお金を貸してあげたがために借金癖が直らず、二度と立ち直ることの出来ないぐらいの大きな借金を抱え、人生を台無しにしてしまうかも知れません。

ですから、これらの『小善』は「大悪」だと言えるのです。
 
逆に、一見すると「非情」だと思えるようなことが、実はその人の為にもなったりする、いわば『大善』であったりもするのです。

当事者からすると「なんで私が・・・」とか、「なんで俺ばっかり・・・」とか思うでしょう。
そのときは、辛く、悲しいと感じることもあるでしょう。

でも、じっと我慢、それに耐えていけば、ある時、それが自分にとってプラスであった、長い目で見たら間違いなく自分の為だった、ということが分かる時が来るはずです。

元来人間は弱いものでもありますので、とかく「被害者意識」を持ってしまいがちです。
しかし、この「小善は大悪に似たり、大善は非情に似たり」という言葉を脳裏に焼き付け、全ての事象・物事を前向きに捉えることが重要です。
 
私も経営者である以上、確固たる信念を抱き、『大善』をもって社員を導いていく覚悟であります。
 
  
※写真は、愛知県あま市内で撮影した「今日の夕日」。寒々しい空に哀愁が漂います・・・。本文とは何の関係もありません。