恵方巻き

2012.02.04
    

昨日は「節分」でしたね。
当社の近く、あま市(甚目寺地区内)の道路が妙に混んでいると思いきや、今年は「甚目寺観音」(じもくじかんのん)が”尾張の恵方観音”だったようです。
これについては、本文の最後に記させてもらいますね・・・。
 
さて、上の写真。 これは昨夜の私であります。 
昨日の我が家の晩ご飯は「恵方巻き」と「お蕎麦」でした。
「恵方巻きか・・・、やった!ブログのネタになるじゃん」 そう思い、食卓テーブルに着きました。
 
その際に、言ってはいけない言葉を口にしてしまったのです。
「これ(恵方巻き)、形がイマイチだし、平凡すぎて(ブログ用写真として用いるには)ダメだな・・・」
 
この言葉を聞いた次女(小学3年生)が急に怒りだしました。
実はこの「恵方巻き」、妻の手を借りながら次女が作った(巻いた)「恵方巻き」だったんです。
 
「ごめんね・・・」と謝ったものの次女の機嫌が直りません。
「ああだ、こうだ」といつまでも言うものですから、「いつまでもやかましいわ!」と怒鳴ってしまった私。
イライラした気持ちを自宅に持ち込んでしまい、それを娘にぶつける格好になってしまいました。
 
泣きはしませんでしたが、怒って部屋を出て行ってしまった娘・・・。
ホントどうしようもないオヤジです。 (反省)
 
気を取り直し、今年の恵方である”北北西”を向き、「恵方巻き」にかぶりつきました。
(その姿を妻が写真に収めましたが、こうして見てみると不機嫌そうですね・・・)
娘に対する侘び、反省をしながら、会社のこと、家族のこと、いくつかのお願い事を頭に思い浮かべながら一心不乱にかぶりつきました。
 
例年、食べ終わるまでの間に、何かしらの言葉を発してしまい、妻から”ダメだし”を食らう私ですが、おかげで今年は最後まで「無言」で食べることができました。
 
そんなことはさておき、「ゆいちゃん、本当にごめんね!ダメなお父さんだよね・・・」

 
『尾張の恵方観音』とは・・・・

 

およそ400年前に徳川家康が尾張の国の中心として名古屋城を築城しました。その際に、名古屋城から見て鬼門の方向に位置する寺院を、名古屋城の鎮護として『尾張四観音』が定められました。
 
「甚目寺観音」(写真)はその内の一つ。他に「笠寺観音」・「荒子観音」・「龍泉寺観音」がこれにあたります。
これら四観音のうち、その年の恵方に最も近い観音様が”尾張の恵方観音”とされているのです。