謙虚な姿勢を持つ

2021.06.14
    


前回のブログ記事では我が家のベランダから撮影した“夕焼け小焼け”の写真を掲載させて頂きました。それは、我が家から見た「西側の景観」ですので、今日は「東側の景観」でいかせてもらいます。


画面中央に写っているのは名古屋駅前の高層ビル群です。

我が街「清須市」は名古屋市のすぐ西隣に位置していて、庄内川を挟んですぐ向こう側が名古屋の“都心部”なんです。


清須市の中心駅である名鉄名古屋本線「須ヶ口」駅から「名鉄名古屋」駅までは急行利用で8分。(グルっと大回りした線路で8分なので、直線距離にしたらメッチャ近いんです・・・)

今はコロナの影響で中々出掛けられませんが、名古屋の歓楽街 “錦三” で飲んで、夜中にタクシーで帰っても3,000円でお釣りがきます。

交通アクセスや都心までの距離でいえば、名古屋市内の一部の区と比べても引けを取らないと言いますか、逆に格段に利便性が高いのです。


そんな便利な立地でありながら、不動産価格(土地・建物等)は名古屋市内の物件と比べてグーンと安いんです。賃貸住宅(アパート・マンション等)の家賃や駐車場代金にしてもそうです。


私の生まれ育った街は、私の “推し街” でもあります。

名古屋のベッドタウン「清須市」での不動産購入や お部屋探しは、地元密着・経験豊富な当社にお任せくださいね!!



さて、前置きが長くなってしまいましたが、この辺で本日の本題に移らせてもらいます。

今日は当社のフィロソィーからいきます。

「ウィズコ・フィロソフィー」のP.37には 【謙虚な姿勢を持つ】 と題し、次のように記しています。


中国の古典に「謙のみ福を受く」という言葉があります。傲慢な人間は幸運、幸福は得られない、謙虚な心の持ち主しかそれを得ることはできない、という意味です。

自分の能力やわずかな成功を鼻に掛け、傲慢不遜(ごうまんふそん)になるような人がいますが、こういう人には決して幸福は訪れません。なぜなら、こういった姿勢では、周囲の人たちの協力を得ることができませんし、それにも増して、自分自身の成長が妨げられるからです。ですから、常に謙虚であらねばならないのです。

「謙虚」、つまり、謙(へりくだ)ると言えば、何かみっともないような感じを抱く人もいるかも知れませんが、それは誤りです。人は、自分に誇るものが何もないからこそ威張り、ふんぞり返って自己顕示欲を満たそうとするものなのです。たとえ控えめに、謙虚に振舞うことによって他人から馬鹿にされても、それは馬鹿にする人間が間違っているのです。

経営陣をはじめ、すべての社員が「謙虚な姿勢」を持つことで、会社内には素晴らしい人間関係が築かれるでしょう。それをベースとして、会社は発展を遂げていくことになるのです。



その人が謙虚な人物か否かは、ちょっとしたところに表れます。


例えば、「年長者に対し敬語を使っているか否か」です。

たとえ、その年長者が自分の部下であったとしても、“人生の先輩” であることは間違いないのです。だから、敬語を使うべきです。


そのようなことが自然にできる人、要は根本的に謙虚な人って魅力的ですし、カッコイイですよね・・・。