震災が変えた人生観

2011.03.30
    

未曾有の大震災が起こった3月も明日で終わりを告げます。
しかし、福島第一原発で発生した放射能漏れ事故については今だ終息に向かうことなく、その影響がどこまで広がるのか予断を許さぬ状況です。
 
震災によるあの惨状を見て以来、「ブログ」 や 「ツイッター」 については暫く休止すべきかなと思う自分と、常日頃 『継続することの重要性』 を社員に説いている自分との間に葛藤がありました。
さすがに震災翌日の投稿はできませんでしたが、結果的には「継続」することを選択し、その翌日からは投稿を続けております。
当初は、極力被災地の方への応援メッセージになるような内容を心がけながら書いてきたつもりです。 どうしても固めの内容になることが多く、一部読者の方にとっては面白味のないものとなっているかも知れません。
ですが、「どこそこで食事をしてきた」、「どこそこへ遊びに行ってきた」 といった類のものを、さも楽しげに記すことについてはどうしても気が引けるのです・・・。
 
正直、昨日は休養日に充てた私。 妻は仕事でしたので、子供たち3人を連れて三重県桑名市にある 『なばなの里』 に行ってきたわけですが、そのことについて具体的に記すことは差し控えたい気になります。
上の写真は、昨日 『なばなの里』 で撮影したそれでありますが、これについては被災地の方にも “春の到来” を感じて頂きたいという思いから掲載させてもらいました。
昨日は、早々と満開となっていた 「桜」 や 「チューリップ」等 の写真を沢山撮ってきましたので、これらについては “春を感じて頂く” という意味で、4月前半のブログ用写真として随時用いていこうと思います・・・。
  
さて、本題。
今日は、今朝の中日新聞の記事になっていたものでありますが、『震災が変えた人生観』 ということで記させてもらいます。
下記は、被災者である一人の女性(39歳の母親。名古屋市にある実家に疎開中)が中日新聞社宛に寄せた 「メール文」 です。
 
わが家に電気が戻ってきたのは4日目、水は14日目、ガスはまだです。缶詰10個を買うのに雪が降る中、4~5時間並んだり、水をもらうために3~4時間並んだりという生活でした。余震は最初の1週間は震度3、4が1日に10回程度ありましたが、おととい震度5強がまた来ました。お風呂も入れないし。
とは言っても津波エリアの皆さんに比べたら、自分たちを被災者と言っては申し訳ないという意識でした。
でも。新宿へ着いてバスを降りてみたら、街中に電気がついています。車はたくさん走っているけど救急車はいない。おしゃれな人たちがたくさん休日を楽しんでいます。
荷物を預けた後、3人でケンタッキーに入りました。震災後、初めてのまともな食事です。涙がこみ上げてきて止まりませんでした。実家に着いてお風呂に入った時は、頭を洗おうとうつむいたら涙が止まらなくて。ほっとしたのと、まだ仙台でがんばっている人たちに申し訳ない気持ちと・・・。
子供たちも私も、水が出ること、トイレを流せること、お風呂に毎日入れること、雪が降る中、身を寄せ合って夜を過ごさなくてよいこと・・・。そういう今までは当たり前だったことすべてが、実は当たり前ではなくてすごくぜいたくでありがたいことだと身にしみて感じています。子供たちは、この先の人生でとても大事なことを学んだと思います。
 
どうでしょう・・・。
あえてコメントするようなこともない文章です。
私には、住む家があって、家族が一緒にいて、仕事があって・・・・・・、
ほんと、”足るを知る” ということが大切だということを痛感させられます。
被災していない私たちは、ACジャパンのCMにもあるように 「今、わたしたちにできること」 を力を合わせてやっていかねばなりません。