私たちの身の回りには数多くの “縁” があります。
それこそ、ありとあらゆる縁に包まれているといった感じでしょうか・・・。
しかし、その人が自分の人生にどう向き合うか、その姿勢によって、どの縁と結びつくのかが決まっていく気がします。
中途半端な姿勢で人生を生きている人には、それがどんな縁であっても、中途半端な縁にしかならない・・・、そんな感じがします。
また、もすれば我欲に押され、自分にとって都合のいい縁のみを選び取ろうとするものですが、それでは「縁を活かす」ことにはならないのです。
私たちの人生の中で最も多くの時間を費やすのは「仕事」です。
仕事に向き合う姿勢で考えてみましょう。
対外的な対人関係でいうならば、「何とかビジネスに繋げてやろう」とか、そんな下心メラメラな姿勢で人と接しても、勘のいい相手方からは簡単に見破られます。
そうではなくて、基本 “人対人” のスタンスで触れ合う、“損得勘定なし” で触れ合うことが肝要だと思うのです。
また、日常の仕事に向き合う姿勢においては、単に「給料さえ貰らって平々凡々と暮らしていければいい」と思っているような人は、仮に凄い縁が近くにあっても、それに気づくこともなく時が経過していきます。
たとえそれが何であっても一生懸命やってみることが大事です。
兎にも角にも、「自分の最善を尽くす」のです。
すると、結果は自ずとついてきますから、だんだん面白くなってきて、益々それに打ち込むことになります。
そんな感じで一途になって頑張っていると、必要な環境が自然と整えられて自分でも驚くことがあります。「縁が欲しい」・「運が欲しい」などと言わなくとも自然にそういうものに触れ合うようになってくるのです。
私自身、そんな経験を何度もしています。
以前、“縁” について奈良の薬師寺執事長、大谷徹奘(おおたにてつじょう)氏の講話を聴かせて頂いたことがあります。
徹奘氏はこう述べていました。
「そもそも、“よっぽどの縁” がなければ、同じ屋根の下で家族だとか、同僚だとかにならない。“よっぽどの縁” があってのあなたと私。世の中すべてが “よっぽどの縁” である」
また、「縁は “生き物” であり、これに魂を込めていくと、それが “絆” へと変わる」
確かにそう思います。
目の前にある縁をどう活かすかは、私たちの心がけ次第です。
せっかくの縁を大切に、それに「魂」を込めて向き合いたいものです。
そして、縁を “絆” に変える、昇華させるのです。
ひいてはそれが、私たちの日常に更なる充実感をもたらし、幸せな人生形成の一助になるように思います。
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