「諸行無常」&「心清事達」

2020.08.24
    


写真は、昨年の8月21日に家族で 南知多「観光農園 花ひろば」に出かけた際に撮影したものです。あたり一面に広がるヒマワリ畑は圧巻でした。

1年前のことだけど、なんか懐かしいなぁ・・・。


この時は、1年後こんな形で外出自粛を余儀なくされるなんて思いもよりませんでした。

なんやかんやで8月も終盤となっちゃいました。なんか、さみしいなぁ・・・。


一日も早く、ワクチンと治療薬が開発され、以前のような生活に戻れることを願うばかりです。



さて、前置きはこんなところにしておいて、ここから本題へと入らせてもらいます。


このブログを再開後の初回投稿(6月15日付)で私の “座右の銘” である『夷険一節』(いけんいっせつ)という言葉を紹介させて頂きました。

簡単に言うと、「いかなる時も、決してブレちゃいかん!」といった意味です。


私にはこの言葉の他にも大事にしている言葉、心に刻んでいる言葉があります。

今日はその言葉(2つあります)について触れさせてもらいます。


まず一つ目は『諸行無常』(しょぎょうむじょう)という言葉です。

今日の前置きにも通じる言葉です。


本当の意味は少し違うようですが、個人的には「悪いことも、良いことも、それがずっと続くということはない」ということだと捉えています。


仮に今、自分にとって悪いことが続いているとしましょう。

でも、悲観することなく前進し続けることが重要なのです。

学校教育、いじめ問題などでもよく言われることですが、「明けない夜などない」のです。


「いま自分の身に降りかかっている試練は、神様が自分を成長させるために与えてくださったものだ。ありがたい。」と前向きに捉え、努力することです。

そうすれば必ず事態は好転するようになりますし、それを乗り越えたときには自分自身ひと回り大きな人間になっているはずです。


逆に、今、絶好調だとしても、それがずっと続くようなことも決してないのです。


物事が上手く運ぶようになってくると「油断」というものが生じてきますし、周りに対して傲慢な態度をとったりもします。

上手くいっているときこそ余計に注意が必要なのです。

「謙虚にして驕(おご)らず、更に努力を積み重ねる」ことが重要です。



二つ目は、『心清事達』(しんせいじたつ)という言葉です。


以前、中学校のPTA会長をやっていた際、就任時だったか退任時だったか忘れましたが「会報」でこの言葉について綴ったのを思い出します。

要は、「心を清らかにすれば事を達成することができる」、逆に「心が清らかでなければ事を達成することはできない」という意味です。

ここでいう「事」とは、「夢」とか「希望」という言葉に置き換えれば分かり易いでしょう。


今後の人生、誰だって「成功」(成幸)したいですよね。

成功(成幸)しようと思えば、まず「努力」をすることです。

「努力」することなく成功(成幸)など有り得ません。

同時に「きれいな心」を持つことが必須条件となってくるのです。


例えば、「自分さえよければ・・・」というような利己的な心では成功(成幸)を掴み取ることなどできません。

相手の立場に立って物事を考え、相手のことを思いやる『利他の心』や、「おかげさまで」という『謙虚な心』、そして『感謝の心』などが重要です。


人間ですから常にそういう心を持ち続けることは難しいかもしれませんが、「意識すること」が重要です。

そのような心でいれば、窮地に陥ったときでも周りがバックアップしてくれたり、多くの協力者がでたりもするのです。


今日取り上げたこの二つの言葉については、前回紹介しました当社のフィロソフィー手帳【ウィズコ・フィロソフィー】にも各々1ページを割いて記載がしてあります。


当社で働く社員には、一生懸命仕事に精進、つまり「努力」をしてもらうと同時に、「きれいな心」で今後の人生を開いていって欲しいと願っています。



さあ、新しい週の始まりです。

まだまだ暑い日が続きますが、朝からガンガン顔晴(がんば)って参りましょう!!