できないことを認める

2022.04.12
    


今回は「ウィズコ・フィロソフィー」の中から 【できないことを認める】 をご紹介します。 当社のフィロソフィー手帳(P.42)には次のように記載があります。


劣等感を感じた場合に、それがそのまま挫折につながっていくタイプの人がいます。しかし、劣等感を素直に受け入れ、それを克服する努力をしようと考えるようにすれば、挫折感を味わうこともなくなるのではないかと思うのです。

たとえば、「自分は世間知らずで、常識もない。他の人と比べると、さほど実力もない。だから、基本的なものから勉強して、誰よりも一生懸命働かなくては成功することはできない」と前向きに捉えるようにするのです。つまり、自分の弱点を否定するのではなく、それをあるがままに受け入れてしまうことにより、無理に背伸びをする必要もなくなるのです。

そもそもこの世に完璧な人間などいるはずもありません。仮に、自分が完璧な“できる人間”だと思っているような人がいるのであれば、その人の人生はある意味終わっています。人が成長するには、「自分ができない」と認めるところから始まるのです。自分ができないことをできるようなふりをするのではなく、できないことを素直に認めて、そこからスタートしていく。こういった姿勢が向上への新たなステップとなっていくのです。



上記文面内にあるように、「できるようなふりをする」ってこと、ありませんか?

たぶん多くの人が、そういう経験があるように思います。


では、どうしてそういうふうになるのでしょう?

おそらく、訳のわからん“プライド”みたいなものが邪魔をするんでしょうね・・・。


でも、下手に「見栄」を張ったりすると、後々自分を余計に苦しめることになります。

その場で「恥」をかいても、それでいいじゃないですか!!

大きな恥をかけばかくほど、学習することになり、自分自身の成長に繋がりますから・・・。


新人のうち、また、社歴が浅いうちは「ドンドン恥をかく」と言いますか、できないことを認めればいいんです。

だって、上司・先輩だって「できて当たり前だ」なんて決して思っていませんから。

逆に、新人、もしくは、それに近い人だったら「できないほうが当たり前」って思っていたりしますから・・・。


問題は、ある程度社歴もいった“中堅社員”以上の人です。

そんな人であっても、やはり「できなことは、できないと認めるべき」です。

「できない」のは、ここに至るまで努力を怠っていたからこそ「できない」という側面もあるわけです。


そんな『働き方』、もっと言えば、そんな『生き方』とは決別したいと考えるのであれば、その場において「恥」、場合によっては「大恥」をかいても、素直にできないことを認め、そこから仕切り直すほうが絶対にいいと思うのです。

ほら、『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』 という諺もあるじゃないですかね。


また、周りの人たちだって、そういう人を馬鹿にするのではなく、逆に「尊敬する」ことにもなるんじゃないかと思うのです。 少なくとも私は、そんな人を “カッコいい” と感じます。



最後に、私のデスク後方に掲げた額縁内、および、フィロソフィー手帳の最終ページに記しています 【自戒】 という「五つの戒め」の言葉を記して本日のブログ記事を締めさせてもらいます。


自 戒】(五 戒)

・辛いことが多いのは、感謝を知らないからだ。

・苦しいことが多いのは、自分に甘えがあるからだ。

・悲しいことが多いのは、自分の事しか分からないからだ。

・心配することが多いのは、今を懸命に生きていないからだ。

行きづまりが多いのは、自分が裸になれないからだ。



※写真は、とある日の朝礼風景(賃貸管理事業本部)です。

このように「フィロソフィー手帳」を輪読、お互いが感想を述べ合うことにより、全社的浸透を図っています。