寸陰を惜しむ

2010.11.16
    

写真は、名鉄「新清洲」駅前のロータリー近くの歩道に設置されている 『織田信長』 の陶人形。
以前このブログで紹介させて頂いた 「信長エコベンチ」5基 の横に5体が設置されています。
信長の「子ども時代」をモチーフしたものや、「清洲城主となった際の勇ましい姿」のものであったり、信長が徐々に出世していく様子を表現しています。
名鉄「新清洲」駅に降り立つ機会がありましたら、順番に見て廻って頂くと楽しいかも・・・・。
“信長ゆかりの町”、”歴史の町” 「清須」 を感じ取って頂けるのではないかと思います。
 
  
さて、今日の本題。今日は 「寸陰を惜しむ」 というタイトルで行かせてもらいます。
「寸陰」というと聞き慣れない言葉でありますが、これは 「わずかの時間」 という意味であります。
不朽の “人間学” によって社会を啓発し、昭和を指導したと称される思想家、安岡正篤(やすおかまさひろ)さんが、以下のように述べておられます。
 
どんなに忙人にでも、寸陰というものはある。
ちょっとした時間というものは必ずある。
そのちょっとした時間をつかむのです。
これに熟練をすれば、案外時間というものはあるものです。
寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰が長い時間と同じ、
或いは、それ以上の値打ちを生じてくる。
 
皆さんも、仕事をしていく中において 「中途半端だなぁ・・・」 と感じる時間ってないですか・・・?
“中途半端” だから言って、雑談をしたり、ケータイをいじったり、無意味な時間を過ごすのと、「たとえ わずかでもいいから、やれることをやっておこう!」 という姿勢で臨むのとでは、月単位、年単位、そして数年単位で見たなら、仕事の成果や自分自身の業務スキルにも大きな差が生じることになるのではないでしょうか・・・。
 
当社の業務でいえば、たとえ1物件でもいいので 「間取り図」 を描いたり、インターネット上に 「物件登録」 をしたり、「メンテナンス」 をする。
途中まででもいいので 「ブログ」 を書いたり(下書きとして保存しておけばいい)、たとえ わずかでも、「チラシ」 を配りに行けばいいのです。
そんなちょっとした行動から “成約” に繋がったりすることも必ずあるわけです。 
中途半端だなぁと思うような 「わずかな時間」 こそ、余計に意識をして、有意義に使いたいものです。
 
これは何も仕事中に限ったことではありません。
例えば、私は毎朝、自宅のトイレで用を足しながら読書をします。
わずかな時間ではありますが、この時間だけでも1ヶ月に2冊は読むことができます。
年間でみれば、24冊にもなります。 これって、意外と馬鹿にならないですよね・・・。
“寸陰” の使い方如何によって、仕事面のみならず、人生面においても途轍もない差が生じることは間違いありません。 そんなことを頑なに信じて、一日一日を大切に送るように心がけている最近の私であります。 (^_^