自分の愚かさを自覚する

2012.02.17
    

以前も取り上げさせて頂いた本「48歳からの人生のルール」(入江光海・著/明日香出版)を読み返してみました。
私の場合、「いいなぁ・・・」と感じた本は、時間をおいて必ず読み返すようにしています。
覚えが悪いというか、頭が良くないため、一回読んだくらいでは、すぐ忘れてしまうからです。
何度か読み返していくうちに、少しずつ自分のものになっていくような気がしています。
 
さて、二度目を読んだ際に「これは大事だな・・・」と感じたのが、今日取り上げさせて頂く『自分の愚かさを自覚する』という考え方であります。 
 
以下にその内容を極力忠実に、かつ、自分の考えを交えながら要約させて頂きます。 
 
人間は生まれながらに”エゴ”に縛られていますので、何事においても自分にとって都合の良いように考える傾向があります。
その最たる例が、「自己の性格」や「自己の才能」に対するものであると著者。
 
ほとんどの人が、他人より自分のほうが”立派な人間”だと考えているというわけです。
もし、あなたもそんなふうに感じているのだったら、そのこと自体にあなたの”愚かさ”・”未熟さ”が表れているんですよ・・・とバッサリ。
 
これは、他人が自分のことをどう捉えているかを冷静に考えてみると分かります。
あなたがそうであるように、自分を高く評価したいというエゴの心は誰にもあるということを忘れてはいけません。
相手も「自分のほうが上だ・・・」と思っているものなのです。
 
ですから、いくら自分のことを立派な人間だと思っていても、そんなふうに評価してくれる人は誰もいないというわけです。
 
逆に、他人が見るあなたの姿は、無能で非常識なところがある人間だというふうに捉えられていると思っていたほうがいいぐらいだと著者・・・。
 
そのことに気づいていない段階で、”愚か”・”未熟”だというわけです。
 
そして、”愚か”・”未熟”と言われるもう一つの理由は、自分のことを立派だとうぬぼれている人間を他人が評価することなんてないでしょ・・・ということです。
冷静になって考えてみれば、簡単に理解できることです。
 
しかも、多くの場合、自分のことを立派な人間だとうぬぼれている人間ほど、自分より弱い人間には上から目線で接しますが、強い人間に対しては下から目線で接するように態度が変わります。
こうした姿は、著者の言葉を借りるのであれば”嫌な奴そのもの”ということになります。
 
こうした人間として当然の感情を理解できないようであれば、”愚か”・”未熟”だと言われても否定のしようがありません。
この点についても著者の言葉を借りれば、少々キツイ言い方ですが、”人間おしまい”ということになります。
 
世の中を観察してみても、知識や経験の豊富な人ほど、己の知識や能力の限界を自覚し、謙虚な振る舞いをしています。
逆に、人生経験の少ない未熟な人間ほど傲慢な態度をとっているもの。
 
人から尊敬されるような立派な人間になるためには、多くの知識を身につけることより、己の愚かさを知ることのほうがはるかに大事だと著者は断言されています。
 
幸せな人生を送りたいなら、「自分の愚かさ」に気づくこと・・・。
これは間違いのない真理であると私も思います。