先祖が掘った川

2009.09.04
    

当社のすぐ近くには「新川」が流れています。 実は、この「新川」は”人工の川”なのです。それも、”日本一長い人工の川”なのです。 その昔、この地域の大型河川「庄内川」は雨が少し余分に降ると瞬く間に洪水となり、新川や西枇杷島(現清須市)、師勝や西春(現北名古屋市)などの庄内川流域の町や村は洪水の被害が絶えない状況だったのです。 そこで、江戸時代の中期・安永8年(1779年)、時の勘定奉行、水野千之右衛門(みずのせんのえもん)は、尾張藩主であった徳川宗睦の命令のもと、庄内川の洪水を防ぐための工事に取りかかったのです。それが、庄内川右岸の西に沿った新しい川の開削です。ところが、いざ工事となるとこの開削には40万両という多額の工事費がかかるということが判ってきたのです。水野千之右衛門は、どうすべきか悩みましたが、尊い人命を守るためなら仕方ないと、重罪を背負うことを覚悟のうえ、工事を断行したのです。その後、工事も無事に完工し、新しい川ということで「新川」と名付けられたのです。懸念したとおり、水野千之右衛門は罪に問われることになりましたが、この開削のおかげで庄内川の洪水も少なくなり軽い罪に問われただけで済んだとのことです。  まだ、私が小学生だったころ、『道徳』の教科書に「先祖が掘った川」というのがあり、水野千之右衛門のことを知りました。当時は、私の通学路であった新川沿いに”水野千之右衛門の碑”があったような?記憶があります。