一流と二流の違い

2010.12.01
    

おはようございます。 今日から “師走” に突入ですね・・・。
今年も、そして、当社の今年度も、残すところ1ヶ月となりました。(当社は12月決算なんです)
何かと慌しい時期ではありますが、ラスト1ヶ月、気を引き締めて仕事に臨んで参りたいと思います。
今日は今から東京へ出張にでます。
年に一度開催される 「アパマンショップネットワークの全国大会」 に出席するためで、今回は常務の小林も一緒です。
今日は、アパマンショップホールディングスの大村浩次社長から 「平成22年度の総括」 と 「平成23年度の活動方針」 についての発表がなされ、「分科会」、「講演会」、そして 「懇親会」 が行われる予定となっています。
「懇親会」においては、イメージキャラクターの上戸彩ちゃんと、”マッチ”こと 近藤真彦さんも登場することになっているんですよ。 (ちょっと楽しみな私です・・・)
 
 
さて、この辺で今日の本題へと話題を変えさせてもらいますね。
先日も取り上げさせてもらいました野村克也さん(楽天ゴールデンイーグルス名誉監督)が、まだ阪神タイガースの監督を務めておられた頃、 『一流と二流の違い』 ということについて語っておられるのを、ある古い雑誌の中で見つけました。
  
そこでは、阪神の とある選手を例に出して話をしておられました。
その選手は、俊足で、強肩で、運動神経抜群。 周りからも大きな期待を寄せられ入団したのだそうです。
しかし、入団から9年経っても、バッティングに一向に芽がでない、守備こそ上手いが、盗塁数もいまいち稼げない。
そんな状況にあって 「まあ、自分はこんなもんだ・・・」 という類の発言をするようになってきた
のだとか・・・。結局その選手は、プロの世界では陽の目を見ることなく消え去っていきました。
野村監督は、この選手のことを例に 「現状への妥協や満足は、”二流” にとどまらせる根源である」 と力説しておられました。

ヤクルトの監督時代にも、同じような選手がいたようであります。
その選手たちに共通するのは、「鈍感さ」。 
監督の目には、「こいつは、何も感じていないのか・・・? 考えていないのか・・・?」 というふうに
映るような選手たちです。
 
野村監督は、 「鈍感」 イコール 「二流の思想」 である と明言されています。
「二流の思想」、つまり、「鈍感」では、決して ”一流” にはなれないわけです。
 
野球の世界では、バッターなら、3割を打つことが “一流” の目安とされますが、残りの7割については 「失敗」 をしてるわけです。
仮に、10割に “理想” を求めるとするならば、「失敗だらけ」だとも言えるわけです。
7割も打ち損じては、恥ずかしくて顔を上げられない・・・・ こんな感覚を持ってさえすれば、どこまで行っても 「謙虚」 でいられるのではないでしょうか。
人は 「謙虚」 であれば、色々なものに気づくもの。決して 「鈍感」 ではいられないわけです。 
 
この雑誌記事を通じて、 「謙虚さ」 こそが、人間を “一流” に導く根源であるということを改めて気づかせて頂いた次第であります。