先祖が掘った川(日本一長い人工河川)

2023.08.29
    


写真は、当社のすぐ近くを流れる「新川」(しんかわ)。一級河川です。

実は、この新川は “人工の川” なんです!

それも、“日本一長い人工の川”なんですよ!!


今日は、その「新川」について記させてもらいます。

その昔、この地域の大型河川である 「庄内川」 は雨が少し余分に降ると瞬く間に洪水となり、新川や西枇杷島(ともに現在の清須市)、師勝や西春(ともに現在の北名古屋市)などの庄内川流域の町や村は洪水の被害が絶えない状況だったのです。 


そこで、江戸時代の中期・安永8年(1779年)、時の勘定奉行「水野千之右衛門」(みずのせんのえもん)は、尾張藩主であった徳川宗睦の命令のもと、庄内川の洪水を防ぐための工事に取りかかりました。それが、庄内川右岸の西に沿った新しい川の開削です。


ところが、いざ工事となるとこの開削には “40万両” という多額の工事費がかかるということが判ってきたのです。

水野千之右衛門は、どうすべきか悩みましたが、尊い人命を守るためなら仕方ないと、重罪を背負うことを覚悟のうえ、工事を断行したのです。


その後、工事も無事に完工し、新しい川ということで「新川」と名付けられました。

当初懸念したとおり、水野千之右衛門は罪に問われることとなりましたが、この開削のおかげで庄内川の洪水も少なくなり軽い罪に問われただけで済んだとのことです。


まだ私が小学生だった頃、『道徳』の教科書に「先祖が掘った川」というのが掲載されており、そのときに「水野千之右衛門」のことを知りました。

当時は、私の通学路であった新川沿いに”水野千之右衛門の碑”があったような・・・、そんな記憶があります。


今から約23年前、2000年9月11日から12日にかけて名古屋などの東海地方を襲った「東海豪雨」、名古屋で観測史上最大の雨量となったこの豪雨で、この新川が決壊、甚大な被害を出しました。

その後、河床の掘削・堤防のかさ上げや強化・橋梁の改築などが実施され現在に至っています。当時は「線状降水帯」という言葉がまだありませんでしたが、きっとそれが発生していたに違いありません・・・。


新川橋のきわにある『新川橋橋詰ポケットパーク』には、当社の前を通る「美濃路街道」の歴史や、今回取り上げた「新川」の開削について、また、「東海豪雨」についての掲示板や石碑が設置されています。

画面右上に写っているのは、当社の本社ビル(SKY Forum)です。

「Wizco」のロゴマークが確認できるかなと思います。

ちなみに、新川の写真(アイキャッチ画像)の左端に写っているのがソレです。

1階に「本社オフィス・ウィズコ管理センター」及び「アパマンショップ須ヶ口店」・「ウィズコのリノベ」を配置、2階から9階までは賃貸住宅仕様となっています。☝️😄