いきなりですが、「煩悩」(ぼんのう)とは何でしょうか?
インターネットで検索してみると、「身心を悩まし苦しめ、煩わせ、けがす精神作用」(goo辞書)とあります。
仏教では、罪とは煩悩が原因であり、それには 『六大煩悩』 があるとされています。
それは、「貪(とん)」・「瞋(じん)」・「癡(ち)」・「慢(まん)」・「疑(ぎ)」・「悪見(あっけん)」 というものです。
「貪」とは、何でも我が物にしようとする欲張りな心。
「瞋」とは、自分の勝手な振る舞いで怒るような浅ましい心。
「癡」とは、自分の思いどおりにならないことに対して愚痴を漏らし、不平不満を鳴らすような心。
「慢」とは、傲慢不遜(ごうまんふそん)な心。
「疑」とは、お釈迦様が説く真理を疑う心。
「悪見」とは、物事を悪く見てしまう心 です。
この中で、最初の3つ「貪」・「瞋」・「癡」は、人間の持つ煩悩の根源的なものとして『三毒』(さんどく)と言われています。
お釈迦様のいう 『六大煩悩』 は、肉体を持っている人間が生きていくために、創造主が備えてくれた知恵だとも言えます。
しかし、この煩悩に創造主から与えられた自由が加わることによって「悪」をつくりだすことがあるのです。
自由だからといって、それを100%振り回し、「何をしようと勝手じゃないか」と、煩悩のおもむくままに行動することも人間にはできます。
しかし、自由を無制限に使えば、タチの悪いというか、手に負えないような人間になります。 つまり、欲望に任せて自由に行動してしまうことが「悪」をつくるのです。
そこで、自由を適宜抑えて、悪をなさないようにしなければならないのです。
人間は不幸にしてやってはならないことをついついやってしまうものです。
しかし、そのことを反省し、二度としないという誓い、決意のもとに、自分自身の新しい人生を作っていかねばなりません。
かくいう私も人間ができておりませんから、やってはならないことをしてしまったり、したくなったりすることがあります。
人間誰もが、自分を抑える気持ちが少し緩んだとたんに悪さをしてしまう・・・、そういうものです。
聖人君子のような人間など、一人もいません。(いないと思います)
しかし、だからこそ「してはいけない」と常に自分自身に言い聞かせなることが大事です。
我々人間が生きていくためには煩悩は必要です。
しかし、それが過大になってしまってはいけないわけです。
まずは、六大煩悩のうち、『三毒』 といわれる「貪」・「瞋」・「癡」
つまり、「貪欲」・「怒り」・「愚痴」を抑えていこうではありませんか!!
このことを常に意識をしながら、黙々と働く、いま与えられた仕事を必死で頑張り結果を出していくことによって、素晴らしい未来が開けていくのではないかと思います。
本日の内容は、盛和塾在籍時に稲盛和夫塾長(京セラ名誉会長)がしばしば説かれていたものです。私自身、改めて肝に銘じたいと思います。
※稲盛塾長は、臨済宗妙心寺派の円福寺で、西片擔雪(にしかたたんせつ)さんというご老師の導きで、得度をさせている、つまり、仏門に入られているんです。
今回用いた写真は、3年前の6月、社員旅行で中国(上海)に行った際、オプショナルツアーで訪れた杭州で撮影したものです。
商店街(土産物屋街)の入口付近にあったような気がします・・・。
特別意味はありませんが、手持ちの写真の中では今日のタイトルに一番マッチするような気がしたのでコレで行かせてもらった次第です。
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