私はかつて会社経営上で人の裏切りにあったことがあります。一時は彼のことを思いっきり憎み、恨んだこともあります。 でも、今ではそんな気持ちもありません。本当です。
街でバッタリ会ったりしたら 「おう、元気にやってるか・・・」 って声を掛けられると思います。
全ての事象は、”自分発”・”自分が源泉” だと思えるようになったらからだと思います。
多少は人間的にも成長したんだろうと思っています・・・。
さて、そんなことで、今日は 「許す」 というテーマでいきます。
先日読み終えた 『運に愛される人』(中島薫/著・サンマーク出版) という本の中に、今日のタイトルとさせて頂いた項目に該当する記述がありました。
これについては、「なるほど、こういう考え方もありだな!」 と唸ってしまった私。
今日はそのことについて紹介させて頂きたいと思います。
誰かに何か嫌なことを言われたり、されたり・・・、それによって自分が傷つけられたり・・・、そんなことって結構ありますよね。
それが自分の人間関係の範囲内であれば、それを引きずるのではなく、早く許してしまったほうが自分のためでもあると記されていました。(※凶悪犯による極悪非道な事件等については、到底こんなふうには言えませんし、会社内の不正・不祥事等については当然この限りではありません・・・)
「許す」ことをしないと、そのマイナスのエネルギーが自分自身に降りかかって、相手ではなく自分に悪影響が出るのだそうです。
また、我々は人のことを 「なぜ、許せないのか?」 ということについて興味深い記載がなされていました。
それは、自分が「許せない」と思った他人の性格や出来事というのは、大なり小なり自分自身が持っている部分なのだということ・・・。
自分はそこに反応しているんだそうです。
相手に「失礼なことがあって許せない」と思うなら、自分にも同じような失礼な部分があるのだとか。
自分自身はそれに気づいていて、失礼の無いように気を使っている・・・、なのに相手は気を使っていないから腹が立つのだそうです。 なるほど、でしょ・・・。
ですから、何かについて「許せない」と思うことは、それに反応する部分を持つ自分も「許せない」ということに繋がるのです。
一生そんなことをしていては、気づかずに自分を責めてばっかりの人生になってしまうわけです。
今日は、多分に本の引用となってしまいましたが、「他人を許すことは、自分を許すこと」なのです。 許せないような出来事が起こったときは、自分の中の同質の部分に気づくための学びであり、自分が更に成長するときなんです。
このことを理解すると、「許せない」 ということがグッと減るような気がしませんか・・・。
自分の人間関係内のことなら、チャッチャと許して、終わらせましょう。
なお、『運に愛される人』(書籍)については、後日【渡辺の本棚】のシリーズで紹介させて頂こうと思います。
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