「寸陰」を惜しむ

2022.07.25
    


今日の写真は、先日の “社員旅行” で「隠岐」を訪れた際に撮影したもの。 西ノ島の 『通天橋』(つうてんきょう) です。隠岐最大の景勝地 『国賀海岸』(くにがかいがん) にある代表的な奇岩で、中央部が海蝕作用によってえぐりあけられた巨大な岩の架け橋であります。

社員旅行について記した6月25日付のブログの “アイキャッチ画像” として用いようか迷ったものなんですが、本日の記事内容に即した写真が見当たりませんでしたので、これを採用させていただいた次第です。なので、本文とは何の関わりもありません。


では、本文いきます。

皆さんは、『寸陰』(すんいん)という言葉を聞いたことはありますか?

あまり聞き慣れない言葉ですよね・・・。

これは「僅かな時間」 という意味。「寸暇を惜しむ」の 『寸暇』 と同じです。

不朽の人間学によって社会を啓発し、“昭和” を指導したと称される思想家・安岡正篤(やすおかまさひろ)さんが次のように述べておられます。


どんな忙人にでも、寸陰というものはある。

ちょっとした時間というものは必ずある。

そのちょっとした時間をつかむのです。

これに熟練をすれば、案外時間というものはあるものです。

寸陰を惜しんでやっていると、その寸陰が長い時間と同じ、

或いは、それ以上の値打ちを生じてくる。


皆さんも、仕事をいていく中において「中途半端だなぁ・・・」と感じる時間ってないですか?

“中途半端”だからと言って、雑談をしたり、ケータイをいじったり、無意味な時間を過ごすのと、たとえ僅かな時間であっても「やれることをやっておこう!」という姿勢で臨むのとでは、月単位、年単位、それこそ数年単位で見たなら、仕事の成果にも大きな差が生じることになるはずです。


当社の業務で言えば、インターネット上に不動産物件(不動産情報)を「登録」したり、「メンテナンス」をする。 途中迄でもいいので「ブログ」を書いたり(下書きとして保存しておけばいい)、たとえ僅かでも、「募集看板」を設置しに行ったり、「チラシ」を配りに行けばいいのです。 そんなちょっとした行動から “成約” に繋がったりすることもあるわけです。


中途半端だなぁと思うような「僅かな時間」こそ、余計に意識をして、有意義に使いたいものです。


これは何も仕事中に限ったことではありません。

例えば、毎朝トイレで用を足しながら読書をするとしましょう。

本当に僅かな時間ではありますが、この時間だけも1ヶ月に1~2冊は読むことができます。仮に2冊だとすれば、一年間で24冊にもなります。これだけでも、全く読書をしない人との差は歴然です。


“寸陰” の使い方いかんによって、仕事面のみならず、人生面においても途轍もない差が生じることは間違いありません。


ちなみに今の私は、プライベートタイムでの寸陰を「英語学習」に充てています。

だって、絶対に “ペラペラ” になるんですから・・・ ٩(๑`^´๑)۶