極楽と地獄は紙一重

2023.03.04
    


写真は、餌に群がる鯉です。赤・白・黄色・ゴールド、きれいな見た目をしている鯉たちも一様に餌の奪い合いをします。生命体である以上、生きていくためには致し方ない行動であります。

私たち人間にも「煩悩」というものがありますので、誰もがこうした奪い合いの心・欲張りな心を有しています。でも、人間には「理性」というものがあります。このような醜い争い事を「理性」でもって抑え込みたいものです・・・。


そんなことで、今回も当社の「フィロソフィー」から行かせてもらいます。

この内容については、過去にも幾度か取り上げさせてもらったことがありますが、当社が重きを置いている、また、今の世の中においても強く求められている『利他の心』の重要性について、とても解りやすく説く “絶妙な例え話” だと思いますので、改めて行かせてもらいます。

「極楽と地獄」、“うどんの話” です。


『ウィズコ・フィロソフィー』(当社のフィロソフィ手帳)P.36に、【極楽と地獄は紙一重】というタイトルで、次のように記しています。


あの世には「地獄」と「極楽」があると言われますが、その違いを、京都のあるお坊さんが次のように表現されています。

『地獄には、大きな釜の中に美味しそうなうどんが、湯気をたてて煮えている。ところが、それを食べるには、長さが1メートルほどもある長い箸を使うしかないのです。

地獄に住んでいる人は皆、われ先にうどんを食べようと、争って箸を釜に突っ込んでうどんをつかもうとしますが、あまりに箸が長く、うまく口に運べません。しまいには、他人がつかんだうどんを無理やり奪おうと争い、喧嘩になってうどんは飛び散り、誰一人として目の前のうどんを口にすることはできないのです。

それに対し、極楽では、同じ条件でも全く違う光景が繰り広げられているのです。誰もが自分の長い箸でうどんをつかむと、釜の向こう側にいる人の口へと運び、「あなたからお先にどうぞ」と食べさせてあげる。そうやってうどんを食べた人も、「ありがとう。次はあなたの番です」とお返しにうどんを取ってあげる。

このように、極楽では全員が穏やかにうどんを食べることができる。つまり、永遠の至福を楽しむことができるのです』


これは、私が「盛和塾」在塾時に、稲盛和夫塾長(故人/京セラ名誉会長)から聴かせてもらった話を要約したものであります。

「もっとよこせ!」・「まだまだよこせ!」といった “欲張りな心” 『貪』(とん)は、人間の持つ煩悩の一つ、その中でも “三毒” と呼ばれる我々が克服すべき根本的な三つの煩悩のうちの一つでありますが、お互いがその感情を封印、『利他の心』で相手と接することができれば、争い事なんか起こるはずもないのです。ひいてはそれは自分自身が幸せになる最良の道だと言って間違いありません・・・。