頼まれごとは、試されごと

2012.04.10
    

五条川の桜も「満開」です!

「頼まれごと」があった場合、それが善き事で、人様のためになるようなことであれば、積極的に受け入れる。
そうすると、また次の 「頼まれごと」 が出てくる・・・。
 
これを次から次へと繰り返していくことによって、徐々に自分の “得手”・”不得手” が分かるようになってきて、本当に自分に向いているものが何なのかが見えてくるようになるのだそうです。
途中で、自分では思いもしなかった才能に気づいたり、大袈裟な話ではなく”人生”そのものが変わることだってあるかも知れないということです。
 
この言葉を、「本当にそうかなぁ・・・?」と捉える人もいるかも知れません。 
 
確かに、どんな「頼まれごと」が来るのかを予測することは出来ませんし、それをこなしていくことによって自分の本当の得意なものを見い出すことができるかどうかの保証はありません。 
 
でも、断わってしまえばそれを見つけ出す可能性はゼロになってしまうのは間違いのない事実です。 
 
であるなら、あまり難しく考えるのではなく、もっと楽観的になって、そのチャンスを逃がさないようにしたほうがいいに決まっています。
きっと、そのほうが面白い人生が描けるのだと思います。
出来ない理由を並べ立てても見苦しいだけです。 
 
『頼まれごとは、試されごと』。
相手から、また、神様から試されているんだというふうに捉えるといいかも知れません。
 
たとえ経験のないことでも、ビビる必要はありません。
誰だって初めは”素人”なんですから・・・。
 
「いっちょう、やったるか!」
そんな気概で臨みたいものです。
どうせなら、「お前、すごいな!」と相手を驚かすぐらいの成果を目指そうではありませんか・・・。